じつは、わたしは、ようちえんの先生やともだちのことは、あんまり、思い出したくなかったので、わすれようと思っていたのだけれど、このごろ時どき考えます。ようちえんの先生は、わたしが、「だっこしてください」と言ったらにこにこだっこしてくれたのかもしれません。ようちえんのともだちは、わたしが、「ともだちになってね」と言ったら、ともだちになってくれたのかもしれません。わたしが心をきつくしていたから、ようちえんの時わたしは、だれともなかよしになれなかったのかもしれません。わたしは、じぶんがわるいのに、人をわるいとずっと思ってきたのかもしれません。そういうことに気がついた今、わたしは、とてもかなしいです。
ゴーシュが本当のゴーシュにもどった時、わたしは、(めでたし、めでたしです)と言いました。でも、本当のゴーシュにもどったゴーシュが一ばん先にしたことは、かっこうに、「すまなかった」とあやまることでした。わたしは、ゴーシュも、今のわたしのようにかなしかったんだろうと思います。わたしのかなしさは、はんせいではなくこうかいです。わたしは今、ようちえんの先生にとてもわるいことをしたと、こうかいしています。
本当のじぶんじゃない時は、じぶんじしんもつらいけど、まわりの人もきずつけて、まわりの人にもつらい思いをさせているのかもしれません。
わたしは、もうこうかいしたくないと思います。わたしは今、本当のじぶんです。本当のじぶんをちゃあんと見て、そのじぶんをたいせつにしてなくさないようにしたいと思いました。
わたしは、いつかようちえんの時の先生に会うことがあったら、「あく手をしてください」と言いたいと思います。その時わたしは心の中で、(めでたし、めでたしです)と、じぶんに言ってやろうと思います。
ある大学でこんな授業があったという。
「クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。
その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。
壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」教室中の学生が「はい」と答えた。
「本当に?」
そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利をとり出した。
そしてじゃりを壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。
そしてもう一度聞いた。
「この壺は満杯か?」学生は答えられない。
一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。
教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。
それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。
「この壺はこれでいっぱいになったか?」
学生は声を揃えて、「いや」と答えた。
教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと注いだ。彼は学生に最後の質問を投げかける。
「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」
一人の学生が手を挙げた。
「どんなにスケジュールが厳しい時でも、最大限の努力をすれば、 いつでも予定を詰め込む事は可能だということです」
「それは違う」と教授は言った。
「重要なポイントはそこにはないんだよ。この例が私達に示してくれる真実は、
大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないという事なんだ」
君たちの人生にとって”大きな岩”とは何だろう、と教授は話し始める。
それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり・自分の夢であったり…。
ここで言う”大きな岩”とは、君たちにとって一番大事なものだ。
それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。
もし君達が小さな砂利や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、
君達の人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。
そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果それ自体失うだろう
「広島の大先輩の曲を2曲続けて」と言って、まずは吉田拓郎の日本フォークの金字塔「今日までそして明日から」、そして2曲目はなんとPerfumeの「レーザービーム」。会場から大爆笑と手拍子が起こる。これで世界遺産はすっかり民生の支配下に置かれたのだった。
なぜ日本の若者はこんな不幸な状況におかれているのに、立ち上がろうとしないのですか?
この本では「なぜなら、日本の若者は実はとっても幸せだからです」という逆説を指摘している。
なんと、自分がいま幸せだと感じる若者は、高度経済成長期やバブル時期よりも顕著で、なんと失われた20年にはいってから今が幸せだと思う若者の割合は増え続け、ついに過去最高の70%に達しようというのだ。
世界幸福度*ランク1位のブータンや北朝鮮にせまろうかという数字。
これはいったいどういうことか。
この本の論証によると、将来の可能性がとざされた人は、自分が幸せだと答えるという。
これは、心理学的な効果だ。
そう答えるほかないのだ。今は幸せだが将来には不安で絶望しているというアンビバレント。
実際に、老人はもう今より将来が良くなることはないので、今の生活に満足していると答える割合が高いという。そうしないと自己肯定できないのだ。
人はもはや将来に希望が描けないときに、今は幸せだ、いまは満足だと回答するというのだ。
この単純な仕組から、経済が停滞し、未来が描けなくなればなるほど、幸せ度合いが高いと答えるひとがふえるのだ。もちろん戦争などが起こってしまえば別だが、緩やかに停滞していく限り、幸福度はましていく。このような社会では、自己肯定が流行り、自分を愛すること、ありのままの自分を認めることが大事になり、それが幸せにつながっていく。
つまりブータンなり北朝鮮の幸福度はブラフではなく、そう答えるひとが多いのは合理的理由があったのだ。
ジョブスの語録より
◆消費者に、何が欲しいかを聞いてそれを与えるだけではいけない。
◆製品をデザインするのはとても難しい。多くの場合、人は形にして見せて貰うまで自分は何が欲しいのかわからないものだ
まったくその通りだと思う。素人の消費者にリサーチして、彼らが欲しい(と思われる)ものを作っても、彼らは全く別のものを買う。それが今の日本の黒モノ家電だ。
試しに「どんな携帯電話が欲しいか」聞いてみたらいい。
絵文字が打てる、メールが片手で打てる、ワンセグは絶対欲しい、 防水がいい、おサイフ機能は必須、いろんな機能が付いていると楽しい・・・ETC・・・結果が世界に通用しないガラケー戦隊ですよ・・・
そう答えた消費者が、ワンセグもなくお財布もなく入力もしにくいiPhoneに殺到しているのである。これは何故か。つまり、素人の客に聞いて、彼らがどんなものが欲しいのか忠実に作っていく方法は、まったく無意味ということなのだ。素人が考えつかないようなものでないと売れない。